楽しい週末はあっという間に終わり、またまた東京の片隅の極小アパートに帰ってきました。
部屋の写真を見た友人からは、新聞記者が張り込みに使いそうな部屋だね、と言われました苦笑。
まさに仮の部屋、という表現がぴったりな広さなのです。
住んでいるだけで気もちが萎えてくる広さのアパートで、また5日間、耐えられるか不安です。
でも、背に腹は代えられない。金銭的な余裕がないのに一人暮らししているわけですから、ここは我慢です。
それより、仕事に関して、いつまで我慢できるかわかりません。
とにかく、色々な業務が混沌としていて、全体像がつかめないですし、業務のやり方もよくわからないまま、あたふたしながら仕事をする日々が辛いです。
単調であっても、坦々とこなせば前に進む仕事がしたい・・。
今の仕事は精神衛生上良くないです。
現に、仕事のやり方が全くわからないのに矢面に立たされている、という悪夢まで見る始末。。
少なくとも向こう数年この業務が続く見込みなのですが、どこまで我慢すべきか・・。
耐えることだけが良いことではないですよね。
とかく、根性は美徳とされる日本ですが、土曜日のマツコ会議で、芸能界を退いたヒロシに対し、「逃げることはとても大事。みんな怖くてなかなかできないけど。」
というマツコさんの言葉がとても響きました。
逃げても良い。
そう言ってくれる人が近くにいることって、とても重要だと思います。
私は独り身なので、そんな風に声をかけてくれる人が欲しいです。
何をするにも、常に逃げ場を作っておかないと、とことん自分を追い詰めてしまいますから。
生きているだけで十分、素晴らしいことなんだ。頑張っているということなんだ、と。そう思える気持ちでいたいです。
さて、先週の日曜日は、極小アパートに帰る前のとても憂鬱な気持ちの中、逃げ恥を惰性で見て終わってしまったので、今週は体を動かして日曜の憂鬱さを紛らわそう、と、逃避エネルギーで片づけをしていました。
捨てるもの、残すものと仕訳けているときに、ふと思ったんです。
この残すモノたちは、私の命より長らえるんだろうなぁ、と。
これを買ったときは、あの人も、あの子も、生きてたんだよな、と。
そう思って思わず涙が出そうになりました。
こういうのがイヤで、ミニマリストになったって人もいるのかな、と思いました。
家具でも写真でも手紙でもメールでも、残るものってとても切ない。
自分も、周りも、あの頃とは全然違うのに、モノは一切変わらず、そこに有り、これからも変わらず有り続ける。
そういったこととできるだけ対峙しくないから、ミニマリストになる。
そういう考え方も、アリだなと思います。
日曜の夜だからこんなネガティブ思考になっているのかな。
週末、10年前、20年前を振り返ってみて、懐かしさはあれど、そんな昔な気がしなくて、あっという間に月日が経っていることに、ただただ感嘆、でした。
人生って、本当に早い。
そう思いだしたら、そこから先は、なおのこと早いです。
この切ない気持ちは何が原因で、どこに行き場を作ってやればいいのか、わからないまま、ただただモヤモヤと彷徨うばかりです。