小池都知事のコロナ対策には物申したいことが多々ありますが、今回の入院を受けて知った事実には少なからず衝撃を受けました。

小池都知事の愛犬(18才)が5月に亡くなったのですね。

これには心中察するに余りあります。

18年間ずっと小池さんを支えてくれていた愛犬が、一番小池さんを必要とするときに、オリンピック直前だのコロナ対策だの選挙だのに追われ、思うように愛犬をケアできなかったことと思います。

そんな中で愛犬が亡くなってしまったとき、一体自分は何のために何をしてきたのかと、計り知れない虚しさに苛まれたのではないでしょうか。

私自身、愛犬が病で苦しんでいるときも残業の毎日で、帰宅が午前様になる生活をしていました。

稼いだお金があっての動物病院だ、と自己肯定してみても、心の内では罪悪感に苛まれていました。

愛犬を失って2年経とうとしている今も、後悔と罪悪感は減衰することなく存在しています。

小池さんも同じような思いだとすれば、気持ち的にはオリンピックやコロナどころではないでしょう。

そんな中自分を奮起させて休みなく働けば、それは体調も崩すと思います。

今回ばかりは小池さんに深く同情しますし、体調だけでも早く回復して欲しいと思います。

 

ところで、本件を受けたインターネット記事の「犬とは言え家族」といった表現には疑問を感じました。

犬だからこそ人間に全責任がかかるわけで、その分のショックや懺悔の気持ちは大きくなるものだと思います。

人間の家族の場合、もちろん衝撃は非常に大きいですが、人間は人生を自分でコントロールし、謳歌できるという意味では、救いがあります。

おそらく動物を家族に迎えたことが無い人は、この記事のような感覚なんだなと改めて思いました。

良い悪いという話ではなく、そういう人が大多数を占める社会では、犬の介護のために休暇を取りたくても、それを言い出せる環境はほぼ無いという事実に、目を向ける必要があると思うのです。


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