9月1日は愛犬の命日です。
私は極小アパートにいるので、母がお花と、大好きだった梨をお供えしてくれたそうです。
昨年の今日の午前10時に息を引き取ったのですが、ちょうど母は用事で外出しており、
家には私とあの子の2人だけでした。
私は、祖父母や父をはじめ、身近な人の大事に立ち会ったことがなかったので、
あの子が初めてでした。
あと2週間もたないかもしれない、と獣医師に言われたときは本当に怖くて、
死に目にあえないのも怖いし、立ち会うのも怖くて。
本当にどうしようもない日々を送っていました。
一方、仕事もかなり忙しく、帰宅はだいたい23時過ぎの日々。
あの子が一番つらいときに、残業なんかしていたことが本当に悔やまれます。
そして、亡くなった数か月後にコロナによるテレワークで家にいられるようになるって、なんという皮肉。
申し訳なくて申し訳なくて、気がおかしくなりそうになります。
私はあの子の旅立ちに立ち会ったわけですが、立ち会えなかった母の苦しみも相当なものだと思います。
愛犬を失い、新たな子を迎えている方は、そうすることで前に進めると仰るのですが、
私はまだとてもそういった気持ちにはなれません。
ワンちゃんや猫ちゃんを見て、かわいいな、いいな。と思うことはあっても、
迎え入れるのは躊躇してしまいます。
こういう後悔って、時間が解決してくれる類のことではないんですよね。
ずっと同じ深さの傷として、心に残り続ける気がします。
はぁ、この気持ちをどう処理すれば良いんだろう。
私にとっては、まさに子どもだったので、あの子がいない今、自分の価値ってなんだろうって思ってしまいます。