最近、YouTubeで養老孟司さんの演説や対談をよく観ています。
解剖学者の養老先生に向けられる質問はとても興味深く、「生とは何か」「意識とは何か」という問いに、丁寧に回答されています。
込み入った内容だし、休日に観るには疲れそう・・と思いきや、何だかとても癒されます。
というのも、”結局よくわからない”ことが大半を占めていることを知るからです。
私は生物学はド素人なので、現代の科学で何がどこまで明らかになっているのか知りません。
ただ現代なら、生とか意識とか寿命とか、ほとんどのことは大方解明されているかと思っていました。
「人間とは、生物とは何ですか」
「その質問に答えるには、生物を、細胞を、0から創る必要があるが、現代の科学では細胞を0から発生させることはできない。創ることができないものを、語ることはできない。」
こんな感じの回答がありました。
一生を研究に捧げた学者の”わからない”の重みは凄いなと思いますし、人間、自身のことですら、まだまだわからないことだらけなんだと、安堵する思いもありました。
その中で、ああでもないこうでもないと大真面目な顔で仕事をしているって、なんだか滑稽だなと。
同時に、自然や命に対する畏敬の念も湧いてきます。
そして、これからの自分の人生についても、考えさせられます。
「科学は手順は明確だが、最終的にどこに辿り着くかわからない。宗教は最終的なゴールは見せてくれるが、そこへの辿り着き方はわからない。人間は、その中間を生きているのだと思う。」
この言葉にも、とても考えさせられました。